嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

処刑の文化史(2018)

 磔、ギロチン、鞭打ち、火あぶり、皮剥ぎ、ガス室電気椅子…、何でもござれ。異教徒狩り、魔女狩りと何かと理由をつけ、拷問器具、処刑台を使い続けてきた人類。民衆は処刑という刺激たっぷりの娯楽に酔いしれ、遺体は病気の薬になるとバラバラにされた挙げ句、売買された。「処刑の文化史」と名を打っていながら、何故か(著者の出身の問題か?)ヨーロッパなどが中心でそれ以外の国の処刑についてはほんの少ししか記述されていない。

 その時代ごとに正当な理由(?)はあるものの、極悪非道な拷問、理不尽な処刑の歴史があるからこそ、ヨーロッパなどでは愛護や人権活動が盛んなのかもしれないと思った。歴史に学ぶ。その姿勢は素晴らしいけれども最近は自分を過度に正当化し、周りに考えを押し付け、新たな魔女狩りが始まっているような気がする。人は本当に暴力が大好きだ。

 以下、気になった箇所のメモなど。

ドイツでは絞首台で働いたり、絞首台にちょっと触れたりするだけで縁起が悪いと考えられていた。悪運は一生ついて回り、子孫にまでも伝わる。

共和制ローマでは袋詰め刑があった。罪人は血に染まるまで鞭で打たれ、頭部に狼の皮を被せられて手足をきつく縛られた。時と場合によって異なる様々な動物、蛇や雄鶏、犬、猿などが一緒に袋に押し込められる。こうして罪人と動物は一緒に川や湖に放り込まれた。

ローマ帝国の闘技場では動物は奴隷や非市民を餌として襲うように訓練されていた。動物が役目を果たさなくなると調教師の食料となった。

中央ヨーロッパの十七世紀に至るまで多くの女性が生き埋め、溺れ死させられた。当時は婚姻のため教会で誓いを立てる習慣がなく、当事者同士でお互いの意思を確認しあい、その後肉体的に結ばれれば夫妻と認められた。そんなわけで男達は若い女性をベッドに引っ張り込む目的でこの制度を悪用し、散々悪戯した後、女性をほっぽりだした。幼子を抱え、生活の糧もなく絶望した女性は極刑である嬰児殺しに走った。

王殺しの罪により、墓が暴かれ、内蔵えぐり、首吊りなどが行われた。

剣の刑における練習は猫や羊、豚などで行われ、基本的な技術がつけば大きな犬で練習した。

海賊クラウス・シュテルテベーカーは一四〇二年、ハンブルク艦隊に補足され、剣の刑を言い渡された。彼は首を落とされた後、一列に並んだ子分達の前を歩いてみせるから、自分がその前を通ることができた子分を解放するようハンブルグ市長に掛け合った。彼は十二人の子分の前を通り過ぎたと言われるが、その子分は解放されず、斬首された。

悪魔とその仲間達は病気や死や嵐などありとあらゆる不幸を巻き起こし、不幸は悪魔の不吉な姿形に由来すると思われていた。悪いことが起こると地上で最も分かりやすい悪魔の手先、魔女に矛先が向けられた。

裁判にかけられた魔女が助かることはほとんどなかった。魔女に勝ち目はなかったのだ。「魔女を生かしておくなかれ」と聖書にもあるではないか?神は無実の者が告発されることをお許しにならない。ということはつまり、告発されるとは有罪であるということなのだ。(94

中世ヨーロッパ大陸ユダヤ人の囚人は逆さ吊りにすることが多かった。逆さ吊りはユダヤ人だけを対象としていた刑ではなかったが、当時の世の中は反ユダヤ感情が強く、逆さ吊りはユダヤ人にふさわしいと考えられていた。刑は罪だけでなく罪を犯した者にふさわしくあるべきだった。ユダヤ人の囚人が改宗の誓いをキリスト教を進行すれば絞首刑に軽減された。

ギロチンはあまりにも効率的で見ごたえがないため、観衆は「昔の処刑台に戻せ」と大声で繰り返した。

一二六〇年から一六五〇年までイングランド、ウエスト・ヨークシャーのハリファックス活躍した「ハリファックスの断頭台」。一人の人間が死刑囚の運命を背負ってしまわないように地域の男達みんなでロープを引いた。

ロンドンのマダム・タッソー蝋人形の館に提示されている多くは。(150

一七九三年、フランスで可決された反革命容疑者法は階級関係なく、無能な将官、人気のない政治家、高級売春婦、歴代市長、豪農、兄弟を亡くして泣いていた若い女性などまで処刑した。

皮剥ぎの刑の章。イギリス兵士や殉教者達が先住民に皮剥ぎされと書かれているが、彼らからすれば領地を侵された挙げ句、訳の分からん宗教を押し付けられそうなったかもしれんわけで、どうにも同情しづらかった。

太古から今日に至るまで人間の体の器官は薬効を目的として売買されていた。脂肪、血、唾液、頭蓋骨に生える苔など、特に脂肪は需要が高く、処刑された囚人の遺体だけでは供給が追いつかなかった。

処刑に関する遺物は摩訶不思議な力があるとされ、受刑者の体、衣服、首縄なども高値で売買された。

首吊にで処刑された男の手は肌荒れや痔、痛風などに絶対的な効果が発揮するとされていた。

十六世紀のヨーロッパでは人間の血を飲むことで、ありとあらゆる不調が治せると信じられていた。血は若ければ若いほどいいとされていた。血を飲むとすぐに走ることが必須だった。若い活力を過剰に得、ひいては節度を越えた激しい行動を起こす危険性があるとされ、なるべく体力を消費し、薬効を安定させる必要があるとされていた。

処刑の文化史

著者:ジョナサン・J・ムーア

訳:森本美樹

発行:2018

本体価格:2700円+税