嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

地獄百景(2012)

以下、メモ

 地獄は宗教、国関係なく、地下のイメージと上から下へ刑罰が重くなる傾向にある。死後裁きを受けると信じた最初の民族は古代エジプト人。善人は天国、悪人は地獄へ落ちる、この概念を宗教に初めて取り入れたのはゾロアスター教。地獄がなかったユダヤ教が地獄を取り入れたのは、紀元前6世紀、中東の新バビロニア王国によって祖国が滅ぼされ、バビロニア地方に強制移住させられた「バビロン捕囚」がきっかけ。自分達を迫害した人間に苦しみを、自分達を天国へという実に人間臭い理由。

 実在するかどうかはともかく地獄の概念は人が作ったもので矛盾や時代背景、個人感情が入り混じっている。祖国、恩人を裏切った、異教徒、信心がないのに布施を行った、正常位以外の形で性行為を行った、赤ん坊を置き去りにし、他の男と駆け落ちをした女、果てには血=穢れの発想から女はみな地獄行きなど…理由が割とめちゃくちゃ。

 刑罰も種類が豊富で岩に挟まれる、業火に焼かれる、体をバラバラにされる、動物と獄卒にひたすら追いかけられる、糞尿のあふれる池に入らされる、永遠と岩を山の頂上へ運ぶ…。地獄絵も地獄の刑罰も残酷な妄想をする人間の楽しさで溢れている。その残酷性こそ人間の本性だと確信したのは極楽や天国の設定が地獄ほど練られていないからだ。

 地獄が妄想の産物なら当然、矛盾も出てくる。宗教が誕生する以前に生きていた先祖、偉人、赤ん坊などはどうしたらいいのか。相手が誰であれ、理由はどうであれ、決まりだと信念を通しきれないのが人情であり、人の弱さである。そこで新たに発明されたのは、取って付けたような救済システム「リンボ」などだ。

 キリスト教の地獄は宗派によって異なるが、カトリックでは肉体的刑罰に加え、神の存在を一切感じることが出来ず、救いののぞみが完全に立たれ、極度の虚無感に襲われ続けるという。これを仏教的に見るなら修行場として最高なのでは?

地獄百景

監修:田中久美子

発行:2012

本体価格:1048円+税