嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

燕に餞 -10 minutes to airplane fall-

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 飛行機墜落に遭遇してしまった津原大介。飛行機が落ちるまでの十分間、彼は何を思い、どんな行動を起こすのか。

 プレイ時間は一周、十五分くらい。エンディングは全六種類。

 圧倒的完成度を前に、正直何を書いたらいいのか分からん。

 津原の孤独と彼の隣りに座っていた糸洲涼子の事情。乗客が混乱する中、淡々と言葉を交わす二人の奇妙さと場違いさ。津原視点で物語は進むので彼の冷めすぎた心情と態度の理由は知ることはできるが、糸洲の言動の違和感は全てのエンディングを見ても明かされず、想像するしかない。

 しかし、想像しようにも私の頭の出来が悪いのか、情報が少なすぎるのか、未だにこれだと思える答えを出だせていない。

 糸洲が戸惑いながら口にした「……私は……人が、人との会話が、好きで」と最後の最後に一人ぼっちで死ぬのは寂しいの言葉が妙に引っかかる。そこにこの物語を解く鍵がありそうな気がする。

外に出る?

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 数日前から不穏なサムネが気になっていて、ようやく遊んだ。サムネ詐欺はなく、がっつり不穏だった。そして、がっつり戸惑った。一体何が起きて、主人公は何をしたのか。謎は謎のまま、混乱だけが残った。

 主人公は記憶喪失者。何やら任務を課せられているらしいが、当然分からない。主人公の目に映るのは薄暗い部屋と扉の前に立っている女性。プレイヤーに提示された選択肢は外に出る、出ない、何か取ってくるの三つ。エンディングは全四種類。

 扉の前に立っている女性が任務に関係しているのは確かだが、彼女は何故に怯えており、主人公の意識を意図的に任務から離そうとする。

 それは、とあるエンディングを見ると解決するのだが、何故彼女があんな目に、主人公がああいう行動を起こしたのかは分からないままだった。何かの思考実験なのか、それとも物語自体が何かの隠喩なのか(…思案)。

あきらめて極楽 悩んで地獄(2010)

 人を救うのは宗教のみ、お浄土、仏を信じろと繰り返し書かれていて、自分の仏教観との違いを強く感じた。

 これは価値観、知識の差だから、あーだこーだ書かんけれども、少なくとも私の知る仏教は信仰心を否定しているし、教えは丸呑みするんじゃなくて、自分で納得がいくまで調べるもんだった。

 本編には禅とか、色んな宗派の言葉や著者のエピソードが書かれていたけど、著者の仏教観は浄土真宗、浄土宗とか、とにもかくにも信じろ系だったように思う。信じろ!疑うな!は言わずもがな一神教だし、わしが仏教を学ぼうと思えたのは教えを徹底的に疑っていいからだったんだな。

 そうそう、前に「禅道とは平然と生きることと…」みたいな名言があるって書いたけど、その原作者(?)をこの本で発見した。

 彼の名は正岡子規(何で急に格好をつけた?)。

余は今迄禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。

引用:あきらめて極楽 悩んで地獄 p49 『病牀六尺』正岡子規

 どこで知ったか、私はこの言葉が好きだった。仏教はおろか禅も何たるか分からんし、もしかしたら一生分からんかもしれんけど、なんとなく正岡子規の言っていることが自分の中の仏教観、正解に近いような気がしている。

あきらめて極楽 悩んで地獄

著者:ひろさちや

発行:2010

本体価格:1000円+税

あなたをシモネタあるあるで笑わせたい

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 下ネタと性欲と狂気を青春で包んだ、むちゃくちゃなゲームだった。

 男子高校生の主人公とクラスメイトのエチカが下校するだけなのに、それだけなのに、どうしてこんな下ネタの暴風が吹き荒れるのか。

 選択によって、主人公が最低の底辺まで転がり落ちる。嫉妬からエチカの恥ずかしい写真をSNSにあげてしまったり、己の性に忠実すぎて、念で自主規制を消してしまったり…。男子高校生だから、思春期だから、十代だから仕方ないねと擁護できないレベル。

 主人公の弟も弟で悪意なき性欲と狂気をぶちまけるので、もう手に負えない。それに加えて、彼らの父親も陽気すぎて、狂気を感じるし、ここまでくると街の治安が心配になってくる。

 容赦ない下ネタと対照的に主人公とエチカの会話はからっとして、青春そのものの。CMよろしく「アオハルかよ」と呟きたくなるほど。そしてそれを台無しにする、下ネタの嵐…。

死の壁(2004)

 養老先生の「〇〇の壁」シリーズ第二弾。自然体でからっとした考えを持つ養老先生の本は魅力的でつい手に取ってしまう。ユーチューブもしっかりフォローして観てるし、ちょっとしたファンか。

 本編は日本人の死に関する事の捉え方について。他にも死の境の曖昧さや死を排除したマンションの話も出てきて興味深い。

 特に印象に残ったのは何故人を殺してはいけないか。当たり前のことなんだけども人間は本当に、簡単に殺せてしまう。他の宗教は知らんけど、仏教では不殺を説いている。私の覚えている限り、命あるものはみんな自分が一番大切だから、殺したり、害してはいけないと教えていた。

 それを読んだ時、分かったような分からないような気がしていたけど、この本でようやく腑に落ちた。壊したものを元に戻すのは時間がかかるし(または修復不可能)、殺すと当然元に戻せない。だからブッダは不殺を説き、自分を含む生きとし生けるもの全てに慈悲を持てと口酸っぱく言っていたのだろう。

 しかし、こんな当たり前のこと、本を読まんと納得できん自分は何なんだろう。もしかして、当たり前だからこそ、納得するのに時間がかかったのか。どうなんだ。

死の壁

著者:養老孟司

発行:2004

本体価格:680円+税

超約版 方丈記(2022)

 日本三大随筆の一つ、方丈記(一二一二)。(関係ないけど、一と二が漢字で続くと可愛いな)。

 初っ端から世の無常を川に例えた文章が秀逸で前々から読もうと思っていた。ようやく手にして、ノンストップで三回ほど読んでいる。冷静すぎる視線、ぐうの音も出ない正論、ひねくれ、普通は不快な言葉も鴨長明が自然体だからか、また人生が思い通りにならなかった哀愁なのか、嫌味が全くない。清水のようにさらりと読めて、納得できてしまう不思議。驚いたのは鴨長明が私と全く同じ考えを持っていたことだ。

それにしても、愚の骨頂としか思えないのは、平安京が、過去にこの種の天変地異を繰り返してきた危険がいっぱいの土地と知っていながら、そんな所に、なけなしの金をはたいて、あれこれと悩みながら、わが家を新築する連中が後を立たないことだ。

一体全体、何を考えているのか。

引用:超約版 方丈記 p23、24

 安元三年(一一七七)四月二八日に平安京で発生した大火事、通称「太郎焼亡」についての一文。これを読んだ時、私がいると興奮した。私は昔っから高いビルや高層マンションの住人、豪華な家を建てる人の気持ちが分からず、不思議でしょうがなかった。理由は鴨長明が書いた通り。

 約八百年に自分と同じ考えの人間がいたなんて、感動せざるえない。「おお同士よ…」とか言いながら、抱きつきたくなる。まあ見方を変えれば、人の精神面は約八百年、少しも変わっていないとも取れるんだけども。

 誤解してほしくないのはそういう人達を馬鹿にしているわけではないこと。人それぞれ価値観が違うのは知ってるし、自分の意見を押し付けるほど、狂ってはいない。

 ちなみにタイトルの「超約版」は誤字ではなく、「大胆で独創的かつ斬新なスタイルの現代語訳」の意味。大胆で独創的かつ斬新とは書いているものの、原文を損なわない、繊細な訳されている。また原文も収録されているので、読み比べるのもまた一興。

超約版 方丈記

著者:鴨長明

訳:城島明彦

発行:2022

本体価格:1000円+税

さよなら 僕よ

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 つい最近読んだ「老師と少年」という本に「生きる意味より死なない工夫だ」という台詞がある。病んでも生きていける、と。このゲームはまさにそれで、人生って限りなく気楽に脳天気に生きるのがいいんだろうなあと改めて思った。それでもつい悩みの沼に入ってしまうのが人間で。

 厄介なのは悩みの沼から出る方法を考えてしまうこと。人間って性別、人種、学歴、関係なく思考回路は基本同じで、ろくなことを考えないようになっている。特に夜は魔の時間だ。しょーもないことを繰り返し悩む、あの無意味な無限地獄は何なんだろう?

 プレイヤーは天の声となって精神を病んでしまった男性を救う。結果を先に書いてしまうと男性は救われる。でもプレイヤーによってじゃない。彼を救ったのは、もっと身近な友人や家族だった。

 じゃあ何で、このゲームはプレイヤーに男性を救わせようとしたのか?いわく、精神を病んでしまった男性、精神が追い詰められた時の対処法を知ってほしかったから。辛くなったら周りに頼って、我儘になったって良い。

 その訴えに似た言葉が画面を超えて、真摯に伝わってきたのは、作り手さんが精神を病んでしまった当事者か、周りにそういう人がいたんじゃないだろうか。そうじゃないとここまで真っ直ぐな言葉にならない、と私は思う。

 作り手さんがどういう立場であれ、この世界のどこかに弱った自分を受け入れてくれる、理解してくれる人がいると分かるだけで、なんだか今日はいつもより明るく生活できる気がする。