禅の教室 座禅でつかむ仏教の真髄(2016)
メモ
秩序を乱すのは欲望。
仏教は大まかに南伝仏教、チベット仏教、大乗仏教の3つに分けられる。教義や経典は違うがブッダや法の繋がりがあるので適度な緊張感を保っている。
ブッタは世の法(ダルマ)を発見した人で仏教の中心ではない。いなくても成り立つ。それが他の宗教との違い。
苦行と快楽の両極端を知るブッダだからこそ、中道は画期的。苦行の果てに快適な環境で瞑想し、真理に気づいた。現在の禅も快適な状況で行う。←厳しい環境で行うと勘違いしていたので驚く。
一箇所を動かすと全体が動く。逆に一箇所を動かすために全体を動かす必要がある(116
原因をほったらかしにして結果だけを無理矢理変えようとするのはまずい。(118
儀式の必要性。これまで抱えてきたものをみんな後ろに置き去りにして前の自分が1回死んで、それから新しい場に生まれ変わる。(72
座禅で重要なのは脱力することで感性が高まること。その感性で、まず繊細に感覚を感じることができる体になっていないといけない。(126
人間には精神自体に自律性はない。温度や湿気などの気候の組み合わせなど環境の影響が大きい。精神はそれだけで存在しているのではなく、環境と相互作用している身体の働きから立ちあがっている。(262
座禅で目覚めても人間なので常に浄化が必要。ブッダも悟った後、死ぬまで修業を続けた。遺言も「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい」。ブッダは最終目標ではなく、ブッダになって初めて本当の目覚めた生き方が始まる。与えられた生をブッダとして精一杯生きる。(269
世界はこんなにも静かで平和なのに何故俺だけこんなにもうるさいんだろうという嘆き。←この気付きを繰り返して自然、仏に還っていくのか。(151
澤木興道老師「坐禅というのはお母さんの胎内にもう一度入るか、棺桶に入って、あたらめて人生を考え直すようなものだ」←山伏修行と同じやはり自然に還るのか??(157
伊藤比呂美さんみたいに仏教が美味しそうだと旺盛な食欲を感じてくれる詩人が仏教をがつがつ食らって必要な滋養をそこから貪欲に吸い取ってくれればいいと藤田さんは思っている。今の仏教は物分かりの良い善男善女よりも通り一遍のことは納得しない悪男悪女を必要としている、らしい。←へそ曲がりの自分はとても勇気づけられた。(180
禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄
著者:藤田一照、伊藤比呂美
発行:2016
本体価格:860円+税