嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

鎌倉円覚寺 横田南嶺管長 ある日の法話より いろはにほへと(2012)

自己本来の観音様とは何であるか?

それは、仏心と言っていい。

引用:いろはにほへと p18

 観音経曰く、たとえ火の中、水の中、どんな困難にあっても慈悲を信じ、名前を唱えれば観音菩薩は救ってくださる、らしい。他の仏もそうだが、この他者を救いたい、半ば狂気的な「衆生救済」は何なのか。

 仏教系の本を読むようになってから、これがどうしても理解できなくて、今までずっと足りない頭で考えてきた。この本を読みながら、ふと浮かんだ答え。

 仏、衆生救済=自分。

 自分は人間本来が持っている生きる力と置き換えてもいい。仏もお経も修行も何もかも元を辿れば、救われたいという人の強烈な思いだ。まさに白隠禅師の「衆生本来仏なり」。

 宗教は人間が作り出したものだ。そんな当たり前をすっかり忘れていた。

 この答えに行き着いて、私の安心が1つまた増えた。

鎌倉円覚寺 横田南嶺管長 ある日の法話より いろはにほへと

発行:円覚寺

発行年:2012

本体価格:700円+税