嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

「禅」の問答集 生き方への問い 公案で学ぶ(2004)

衆生本来仏なり。水と氷の如くにて、水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし。衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ。譬えば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり。

臨済禅、白隠慧鶴「座禅和讃」

 常識、価値観、自分、ありとあらゆる枠を越え、自らの答えを導く。悟りへ至る道の1つ、禅問答。難解で堅苦しいとばかり思っていた問答は意外にバリエーション豊かで読み物としても面白い。

 時に老婆に馬鹿にされ、時に師に指を斬られ、時に眼前で猫を殺され、時に若い娘に抱きつかれ、時に鼻をひねられ…。様々な出来事に巻き込まれながらも僧達は悟りを求め、悪戦苦闘する。

 長い長い苦しみの果てに彼らがたどり着くのは、出発点。欲しいと願っていたものは実は既に持っていた。それに気付かず、また目をそらし、苦しい、欲しいと求め、彷徨い続けていた。全力で最終地点を目指し、出発点に向かって走る。

 そんな滑稽な結末を笑えないのは私自身、思い込みや妄想と無理矢理戦っている自覚があるからだ。ある時ふと事実だと思っていたものが妄想だと気付き、得意げに新しい妄想を信じている。繰り返される悲劇のような喜劇。無限に広がる思想の迷路を抜け出すには…と思案した時点で出口から遠ざかっている。

隻手の音声を聞け。

「藪柑子」

 頭が痛い。

「禅」の問答集 生き方への問い 公案で学ぶ

著者:武田鏡村

発行:2004

本体価格:1500円+税