嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

日本人の〈原罪〉(2009)

 日本人の心を日本神話や風土記などで読み解く本。

 フロイト曰く神話は「諸国民全体の願望空想の歪曲された残滓、若い人類の現世的な夢」であり「自分の好きな童話の記憶が自分自身の幼年時代の記憶に代わってしまっている人々がいる」らしい。

 昔話の登場人物を「親子関係」として捉える、誰しも自己犠牲により自分を産み、育ててくれた母への罪悪感がある、登場人物が罪を犯しても何も問われないのは、罪悪感は消化に時間がかかるため、また冒頭で罪を軽くするためのエピソードが用意されているなど、昔話を読み返したくなるような斬新な解釈が並べられていた。

 以下、気になった文章の引用。

潔くあっさりと罪を認めてしまうことが美学となる文化では、罪を正確に推し量りにくいのは、なかなか対象や状況の痛ましさや醜さを正視することができないからであろう。そしてまた神話には、罪悪を汚いものとして排除する不潔恐怖的な道徳観念そのものが描かれているのだ。

引用:日本人の〈原罪〉 p42

かつては、多くの母親が出産の際に死亡したのであり、それにともなう危険のために彼女たちは「産小屋」に共同体から隔離された。

このような母親像を傷つけたのは誰か。身を隠して覗きこむ男性主人公は、「禁止」を破ったために、自らの欲望で相手を傷つけていたことなど知らなかったと言うのだろう。

引用:日本人の〈原罪〉 p70

〈私〉には底なしの欲望により、豊かで美しい対象を求め侵入していく性癖があって、〈私〉は同時に、対象を傷つけたり破壊していたことを思い知ることになるのだが、特に悲劇的な展開では、これに急激に直面し幻滅することが多い。そこで深まる罪悪感の痛みから、〈私〉は逃走し、やり直しや罪の取り消しをくりかえしていくことになる。

引用:日本人の〈原罪〉 p90