嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

社会脳からみた認知症 微候を見抜き、重症化をくい止める(2014)

(略)人物評価のための脳の領域は諸外国の研究間で微妙に異なっており、これは人物評価が、国や民族、歴史や文化、宗教などによって異なることを反映したものと考えられています。生きている社会の違いによって脳の働き方にも違いがあることを示唆する結果であり、社会脳科学らしい展開がみえてきた好例と言えるでしょう。

引用:社会脳からみた認知症 微候を見抜き、重症化をくい止める

 これを読んで、なるほど戦争がなくならんわけだと思いました。

時刻表的な行動自体は、決して特別な行動様式ではなく、身近な日常の中によくあるパターンなのかもしれません。多彩で不規則な生活こそが、脳による何らかの支配のたまものであって、脳からの抑制が外れることで、時刻表的な行動・生活が生まれてくるような気もします。

引用:社会脳からみた認知症 微候を見抜き、重症化をくい止める

 これを読んで、我々は大変な努力を重ねながら、日々生きているのだなあ、生きているだけで花丸!と思いました。

 糖尿病、うつ病患者は健康な人よりも二倍、高血圧はそうではない人に比べ二、三倍、認知症になりやすいそうです。うちの父親は糖尿病、高血圧のWコンボを決めているので、今から心配です。いくら知識があっても実際に介護を始めたら、感情を揺さぶられ、冷静ではいられないでしょうし。

 介護殺人は介護を初めて間もない時期に発生することが多いそうです。介護者だけでなく、認知症患者も自分の身に何が起きているのか分からない混乱期であり、混乱と混乱がぶつかり合い、カオス状態となるからでしょう。第三者、デイサービスやヘルパーが介入しても起るのですから、悲しみのカオスここに極まれり、です。

 周知の通り、介護は仕事として確立されており、つまり専門知識が必要です。それを素人がやるというのは到底無理な話。しかし莫大な社会保障を削減するため、国は自宅介護を推奨しています。他にも低賃金、介護離職、現場のハラスメントなど、問題が山積みなのにこれといった解決策はなし。もう、なんだかなあと私の中に隠れていた阿藤快が顔を出しました。