嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

さよなら 僕よ

novelgame.jp

 つい最近読んだ「老師と少年」という本に「生きる意味より死なない工夫だ」という台詞がある。病んでも生きていける、と。このゲームはまさにそれで、人生って限りなく気楽に脳天気に生きるのがいいんだろうなあと改めて思った。それでもつい悩みの沼に入ってしまうのが人間で。

 厄介なのは悩みの沼から出る方法を考えてしまうこと。人間って性別、人種、学歴、関係なく思考回路は基本同じで、ろくなことを考えないようになっている。特に夜は魔の時間だ。しょーもないことを繰り返し悩む、あの無意味な無限地獄は何なんだろう?

 プレイヤーは天の声となって精神を病んでしまった男性を救う。結果を先に書いてしまうと男性は救われる。でもプレイヤーによってじゃない。彼を救ったのは、もっと身近な友人や家族だった。

 じゃあ何で、このゲームはプレイヤーに男性を救わせようとしたのか?いわく、精神を病んでしまった男性、精神が追い詰められた時の対処法を知ってほしかったから。辛くなったら周りに頼って、我儘になったって良い。

 その訴えに似た言葉が画面を超えて、真摯に伝わってきたのは、作り手さんが精神を病んでしまった当事者か、周りにそういう人がいたんじゃないだろうか。そうじゃないとここまで真っ直ぐな言葉にならない、と私は思う。

 作り手さんがどういう立場であれ、この世界のどこかに弱った自分を受け入れてくれる、理解してくれる人がいると分かるだけで、なんだか今日はいつもより明るく生活できる気がする。