嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

少年A 矯正2500日 全記録(2004)

 本書は1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の犯人、少年Aの矯正の日々を追ったノンフィクションである。あまりに有名な、そしてショッキングな事件なので、あえて詳細は書かない。

 矯正の日々が淡々と描かれ、精神を削られる内容ではない。しかし私はもう2度とこの本を読まないだろう。理由は少年Aの人生だ。長子、母のスパルタ教育、劣等感、父親の子育て不参加など、彼と私の人生が驚くほど似ていたのだ。違うのは少年は他者に手をかけ、私は自分自身を手にかけた点である。

両親の教育方針はこういうものである。

「人に迷惑をかけず、人から後ろ指を指されないこと。人に優しく、特に小さい子には譲り、いじめないこと。しかし、自分の意見をはっきり言い、いじめられたらやり返すこと」

引用:少年A 矯正2500日 全記録

小学校三年生のAを、学校側はこう振り返っている。

「根は大変優しいが、超テレ屋。怒られることに敏感で、心を出せない子。本当の情緒が育っていない。母親は”スパルタ教育で育てました”と言っていた。少年の家庭は気取らず下町的な感じで、友人ともよく遊びに行っていた」

引用:少年A 矯正2500日 全記録

 少年が事件に至った原因の1つは愛情不足だという。矯正プログラムは不足した愛情を満たす「育て直し」が取られた。私も不安障害を発症し、心身共に崩壊し、育て直しをせざる得なくなった。

 さらに事件発生から5年も経過しているにもかかわらず、息子を犯人だと認めたくない母に衝撃を受けた少年。対して私は手術を受け、麻酔で意識が朦朧としている中、子供を案ずる母に衝撃を受けた。母という生き物、子への執着に似た愛情深さを理屈ではなく、実感したのだ。

 これだけ似た人生を歩みながら、何が私と少年を分けたのだろうか。はっきりしたことは言えないが、ただ1つ理解できない言葉があった。

「(略)とにかくやってしまった、とうとう僕はやってしまった。そこで(自分)のすべてを投入して引き上げた。(殺人を犯して)帰ってきて玄関戸を開けたら、お母さんがテレビを見ながら大笑いしていた。

僕はその時凄い衝撃を受けた。もちろん親にはまったく分からないように、一〇〇パーセント自信をもっていたんですけれども、それにしても僕がやったことはお母さんはどこかで分かるかもしれない。お母さんにえらいことをしてしまったと分かってほしかったんや、でも全く分からなかった。(略)」

引用:少年A 矯正2500日 全記録

 幼少期の私にとって母は絶対的な存在だった。どんなに厳しくされても突き放されても母に捨てられたくなかった。しかし、私はどこかで母を信用しきれない部分があった。母は感情的な性格、理論的に会話ができない人で対照的に私は疑い深い子供だった。母の存在は絶対だが言葉は信用できない。この妙に冷めた性格が私と少年を分けた大きな要因かもしれない。

 興味深かったのは事件当時の世間の反応である。犯人像は成人に絞られ、犯人が至って普通の家庭で育った少年だと判明した時、全国の親は我が子が犯罪者となる可能性に怯えた。不謹慎だが「うちの子は大丈夫」という根拠のない自信に思わず笑ってしまった。

 私を含む人間は根拠のない自信に満ち溢れている。この事件は「異常な事件を起こす人間は異常な環境で育った」「子供は人畜無害」などの根拠のない常識をことごとく破壊した、色んな意味で大きな事件だったのだ。そしてもう2度と起きてほしくないと強く思う。