嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

すぐにもらえるお金と使えるサービス(2021)

 状況別に使える社会保障を教えてくれる本。

 甘ったれ上等で感情のままに書く。

 社会保障は本当に困っている人を救えているか?

 この本を読みながら知らん社会保障がわんさか出てきて「この制度を知ってれば!!」と地団駄を踏みまくった。数が多いのはそれだけ様々な状況を助けられるからだ。それなのに知られている制度の数が少なすぎる矛盾。

 隠しコマンド的社会保障とは何なんなのか。

 自分を救えるのは自分だけというのはブッダも言っていたが。それにしても社会保障、お前はどうして引きこもり体質なんだ。さすが日本だよ天岩戸だよ全く。

 悪意全開で見ると国も会社も極力金は出したくないわけで、でもやることはやっとかないと、後が面倒くさいわけで。

「必要な道具(社会保障)は用意してあるから自由に使ってね!!その代わり、めちゃ分かりにくいところに隠してあるよっ」

 ゲームなら喜んで探すけど、俺が生きているのは3次元だし、勇者じゃなくて村人Cだし。なんかもう、せめて学校で「困った時は四の五の言わずに国に頼れ、お前を救う制度は必ずある。1人で抱えるな、死ぬぞ」って脅しに似た教育を受けたかったな(遠い目)。

 人によっちゃ、この発想自体が甘ったれなんだろう。でも個人的に他人にも自分にも激甘過ぎるのが丁度いいと思うのだけど。といいつつ、国に厳しい俺の矛盾。

共感障害「話が通じない」の正体(2019)

 終始バタバタ、がに股で乱暴に歩き回る音が聞こえてくる本だった。

「最近、ネットが普及して直接的なふれあいが減って、共感能力が低い人が増えたような気がするよね」な内容だと思っていたら、自閉スペクトラム※による自閉スペクトラム本だった(偏見すまん)。

※「自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder: ASD)」は、対人関係が苦手・強いこだわりといった特徴をもつ発達障害の一つです。

引用:子どもの自閉スペクトラム症 | すまいるナビゲーター | 大塚製薬

 59年、自閉スペクトラムだと気付かず生きてきた著者。親や周囲を含む理解者に囲まれ、比較的恵まれた環境にいたためか、自由奔放で自信にあふれている。自閉スペクトラムの自覚も薄いように感じた。

 自覚が薄いからなのか主張が非常に強く、客観的な視点が少ない。数少ない反対意見や客観的な内容も過剰反応し、なかったことにしてしまうので読んでいて疲れてしまった。本において、こういう体験をすることはめったにないので逆にラッキーか(?)。

「自閉スペクトラムは話を聞いていないと勘違いされがちだから、パフォーマンスとしてメモを取る振りをしよう」「自閉症は閉じこもっているんじゃなくて、感覚などが開きすぎて辛いのだ」など、竹のように主張が独立、乱立し、まとまりがなく、終始何が言いたいのか分からないままだった。

 わしの地頭の悪さのせいかもしれん。

齋藤孝の速読塾 これで頭がグングンよくなる!(2006)

 不安障害を発症し、脳の処理機能が低下した結果、本が読めなくなった。最近になってようやく読めるようになってきて、連日大食い選手の如く、本を読みあさっている。 

 数うちゃ当たる。

 当然合う合わん、おもろいおもろくないはあるもので、そんな本でもいっぺんは目を通しておきたいと思うのは貧乏の証。他にも要所だけを知っておきたい本に対し、速読術を身につけとったらええやろなあと下心全開で手に取ったのが本書である。

 感想を先に書くと自分が期待していた速読術ではなかった。速読術は文章を塊で認識し脳内で映像化し、読み進めるみたいなイメージがあった。でもこの本は違う。

ちなみに私は、本を読んでいて、時に3~4ページくらい、平気で読み飛ばしてしまうことができるようになりました。あるいはマグロをさばくような感じで、全体をざっくりさばいて、トロならトロだけを食べて終わり、という読み方もできます。

引用:齋藤孝の速読塾 これで頭がグングンよくなる!

 大事なところだけ拾い読みし、全体を把握する…というやり方なんだろうか。速読術を学ぼうとしている人間が言うことじゃないが、一字一字に魂を込めている書き手を思って切なくなった。

 よく考えてみると自分は本を通して知識を得つつ、文字も読みたいんだなと再確認。本当に身につけたいのは記憶力だと目的が明確に。年を取っても記憶力を上げる方法はないだろうか。幼少期より、すぐ物をなくす、わたくしでも。

 そういえば昔、テレビで速読術をマスターしている子供の特集を見た。強烈に覚えているのは本屋で速読術(パラパラめくる方法のやつ)で、本を立ち読みする我が子の隣で次々本を手渡す親の姿。親からすれば数秒で読み終える本を買い与えるのはもったいなかったのだろう。

 子供ながらに、もやもやした。商品である本を大量に、しかも何度もパラパラされる書店、本を買う人のことを少しも考えていないように見えたから。これは自分が神経質なのかもしれないが、正直(中古や図書館は別にして)何度もパラパラされた本を買いたくない。せめて図書館に行ってほしかったなあと未だに思う。

 何年も前の映像なので、その子供は立派な大人になっている。今でも本屋でパラパラ速読術をしているのかなあと思うともやもやする次第。本人のせいじゃないのが余計に。

 あれ、何の話をしてたんだっけ…。

精神疾患・メンタルヘルス ガイドブック DSM-5から生活指針まで(2016)

 自閉症からパラフィリア(性的倒錯)までありとあらゆる精神疾患の症状などを書いている、いわゆる一覧本(造語)。全体的に内容がざっくりしているので治療法や深い知識を得たい人には向いていない。

 以下、私が患っている全般性不安障害のリスク因子。

リスク因子

全般性不安障害の正確な原因は不明であるが、いくつかの要因が発症に役割を担っている。

気質:不慣れな状況を避けがちな人や悲観的な考えの人はリスクが高い。

環境:全般不安症の人は、子どもの時代に逆境体験や過保護な養育環境を持っていたかもしれない。

遺伝:第一度親族(両親や同胞)の人が不安症や抑うつ障害であった場合、全般不安症になるリスクが高まる。

 当たるな当たるなと祈っていたのに、まさかのパーフェクト。やっぱり神様なんていなかったね。

 全般性不安障害になるのは必須だったのかなあ…(遠い目)。

壊れた脳と生きる 高次脳機能障害「名もなき苦しみ」の理解と支援(2021)

 高機能障害の鈴木大介さんと神経内科専門医、鈴木匡子(きょうこ)先生の対談本。

 自分は不安障害を患っているが高次脳機能障害と似ている点が多いなと感じた。高次脳機能障害は脳が傷付いたことで、不安障害は不安によって脳の容量が減り、注意障害、セットの変換(意識の切り替え)、半側空間無視などの障害が発生する。一見健常者と変わらないので気付かれにくく、理解されづらいのが辛いところである。

 私の場合、不安が出やすいのは対人だ。会話はもちろん電話やメールもかなりの体力と精神力を消費する。何気ない会話でも相手の話を聞き、組み立て、解釈し、理解し、今度は自分の話したいことを組み立て、説明しなければならない。

 この時にふと不安に襲われたら一巻の終わりである。

 不安が脳の99パーセントを占め、使えるのはたったの1パーセント。完全なアウェー状態。相手の言葉が虫食い状態になり、何を言っているのか分からない。何とか聞き取れる単語を予想しつつ、分かった顔で「はい」「そうですね」を繰り返す。

 相手に具体的な返答を求められた時は二巻の終わりである。

 一か八かで返してみるが内容を理解していないので当然返事はとんちんかん。「変人」のレッテルを貼られれば良い方で、大抵は「会話ができない人」のカテゴリーに入れられ、さよならである。

 仮に不安障害だと打ち明け、説明しても人は自分が体験したことしか理解できないので、さらりと受け流され、相手の口からお経並みに長く、意味不明な言葉が溢れ出す。止まってくれと言えばいいのだが、混乱状態で頭は真っ白。ここまでくると不安率は100パーセント。なすすべなし。

「無理だよそんなの…相手の言葉が分からないのに、自分のことも話せないのに、会話のキャッチボールができるわけないよ!(エヴァンゲリオン)」

 一時は文章が読めなくなったり、視野が狭くなったり、自宅のトイレの流し方が分からなくなったり、階段が下りられなくなったりと我ながらよく発狂せず、生き抜いたなと感心する。怖いのはこれらの症状を全て自分の出来が悪いからだと思い込み、病院に行く選択肢が浮かばなかったことだ。

 これは自分が生まれながらの不安障害で不自由が当たり前だったからだろう。不安障害は自分の性格のせいだと勘違いしがちで発見が遅れる場合が多い。なので、ちょっとした違和感があったら、周りにそういう人がいたら病院に行くことを進めてあげてください。早期発見、大事。

 私の不安は暴走しっぱなしだが、不安自体はなくてはならない感情だ。だから不安障害は完治ではなく、共存していく方法を考えましょうと主治医に言われた。正直永遠にこの苦しみが続くのか…と絶望したが薬や行動療法、本で知識を深めたりとちょっとずつではあるが共存の道を模索している。

 本音を言うと、社会復帰はいつになるんだろうか。そもそもこんな面倒な障害を抱えている奴を雇いてえと思ってくれる会社はあるのか。ないならベーシックインカムでもしてくれんだろうか。安楽死でもいいのだが。障害者との共存を拒むなら、案を出してくれと思うのです(感情の暴走)。

 本と関係ない話をしちゃったけど、鈴木さんの日常生活における困りごとをきょう子先生が分析し、仕組みを説明してくれていたので対策を練るのにいい内容でした。脳の容量を上手く使うなんて夢にも思い浮かばなかった。

脳が壊れた(2016)

 ルポライター鈴木大介さんを以前から存じ上げていた。名前は忘れてしまったがウェブ上で「お妻様」のことを書いている記事を読んだのがきっかけだったと思う。非常に個性的な発達障害者である「お妻様」と高次脳機能障害を持つ鈴木さんの生活は一般の家庭ではみられない、深く複雑で繊細な優しさに満ちていた。今でも忘れられないのは「お妻様」の布ナプキンを洗い、タブー視されがちな生理を肌で体験し、知識を深めていた記事だ。大きな反響があったようなので知っている人は多いかもしれない。

 鈴木さんが脳梗塞に襲われたのは41歳の時。突然呂律が回らなくなり、そのまま病院へ。手のしびれなどの前兆はあったが、しばらくすれば回復すること、最初に受診した整形外科医の誤診が重なり、発見が遅れた。

 幸い一命はとりとめたものの、辛いリハビリ生活、さらに辛い日常生活へと物語は進んで行く。そう、脳梗塞は退院したら即健康ではないのである。鈴木さんは感情失禁や集中力の過剰な低下などの後遺症と共に生きていかなければならなくなった。

 文字にするとかなり重い内容だが、鈴木さんの性格なのか、全編明るく、どんな重い症状も茶化し、笑いに変えてしまう。いわゆる社会的弱者が取材対象である鈴木さんは脳梗塞を通し、彼、彼女らの苦しみを体験し、社会の在り方を見つめていく。その姿はさすがルポライターである。

 格好いいのは鈴木さんだけでなく、終始彼を支える「お妻様」も同様だ。彼女は発達障害であり、生きづらさの大先輩である。絶望的な状況にある夫に対し「あんたの場合は時間薬で治るんだから、今は楽しめば?結構楽しくない?」と言ってのける。夫婦揃って格好いい。

「非常に多くの気づきに満ちた体験ではあったが、もう一度同じリハビリをするならば結構あっさり自殺を選んでもいいのではないかいうほどに辛」いリハビリ生活中、見つめていたのは過去取材した人々だけではなかった。

 脳梗塞は自業自得。

 これが鈴木さんが自分を見つめ直し、出した結論だった。根っからの体育会系、完璧主義だった鈴木さんは自分が自分を追い込んでいた、そして1番傍にいた「お妻様」を苦しめていたと知る。

脳梗塞になった原因のすべては、僕自身の中にあった。そのことに気づけただけでも「脳梗塞になってよかった」と思えるほどの欠落だ。

引用:脳が壊れた

 本書には常に鈴木さんの傍にいた「お妻様」の思いも綴られている。鈴木さんへの愛と添い続ける覚悟、そして決意、文章全体に漂う達観と寂しさが生きづらい人生を物語っていて何だか切なかった。どうして人はみんな幸せでいられないのだろう?

この本では、高次脳を残しながらも幸運なことに思考し書く力を残すことのできた僕が、当事者の感覚をつらつらと語源化してみました。発達障害や、鬱病をはじめとする精神疾患・障害の当事者の言葉の代弁でありたいと思います。

こうなってしまうと、僕らはもう独りでは生きていけません。独りでいることは、死に直結するリスクです。だから、面倒くさくても、何を言っているのかわからなくても、そばにいて、壊れてしまった自分を許容してくれる誰かが必要なのです。

引用:脳が壊れた

少年A 矯正2500日 全記録(2004)

 本書は1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の犯人、少年Aの矯正の日々を追ったノンフィクションである。あまりに有名な、そしてショッキングな事件なので、あえて詳細は書かない。

 矯正の日々が淡々と描かれ、精神を削られる内容ではない。しかし私はもう2度とこの本を読まないだろう。理由は少年Aの人生だ。長子、母のスパルタ教育、劣等感、父親の子育て不参加など、彼と私の人生が驚くほど似ていたのだ。違うのは少年は他者に手をかけ、私は自分自身を手にかけた点である。

両親の教育方針はこういうものである。

「人に迷惑をかけず、人から後ろ指を指されないこと。人に優しく、特に小さい子には譲り、いじめないこと。しかし、自分の意見をはっきり言い、いじめられたらやり返すこと」

引用:少年A 矯正2500日 全記録

小学校三年生のAを、学校側はこう振り返っている。

「根は大変優しいが、超テレ屋。怒られることに敏感で、心を出せない子。本当の情緒が育っていない。母親は”スパルタ教育で育てました”と言っていた。少年の家庭は気取らず下町的な感じで、友人ともよく遊びに行っていた」

引用:少年A 矯正2500日 全記録

 少年が事件に至った原因の1つは愛情不足だという。矯正プログラムは不足した愛情を満たす「育て直し」が取られた。私も不安障害を発症し、心身共に崩壊し、育て直しをせざる得なくなった。

 さらに事件発生から5年も経過しているにもかかわらず、息子を犯人だと認めたくない母に衝撃を受けた少年。対して私は手術を受け、麻酔で意識が朦朧としている中、子供を案ずる母に衝撃を受けた。母という生き物、子への執着に似た愛情深さを理屈ではなく、実感したのだ。

 これだけ似た人生を歩みながら、何が私と少年を分けたのだろうか。はっきりしたことは言えないが、ただ1つ理解できない言葉があった。

「(略)とにかくやってしまった、とうとう僕はやってしまった。そこで(自分)のすべてを投入して引き上げた。(殺人を犯して)帰ってきて玄関戸を開けたら、お母さんがテレビを見ながら大笑いしていた。

僕はその時凄い衝撃を受けた。もちろん親にはまったく分からないように、一〇〇パーセント自信をもっていたんですけれども、それにしても僕がやったことはお母さんはどこかで分かるかもしれない。お母さんにえらいことをしてしまったと分かってほしかったんや、でも全く分からなかった。(略)」

引用:少年A 矯正2500日 全記録

 幼少期の私にとって母は絶対的な存在だった。どんなに厳しくされても突き放されても母に捨てられたくなかった。しかし、私はどこかで母を信用しきれない部分があった。母は感情的な性格、理論的に会話ができない人で対照的に私は疑い深い子供だった。母の存在は絶対だが言葉は信用できない。この妙に冷めた性格が私と少年を分けた大きな要因かもしれない。

 興味深かったのは事件当時の世間の反応である。犯人像は成人に絞られ、犯人が至って普通の家庭で育った少年だと判明した時、全国の親は我が子が犯罪者となる可能性に怯えた。不謹慎だが「うちの子は大丈夫」という根拠のない自信に思わず笑ってしまった。

 私を含む人間は根拠のない自信に満ち溢れている。この事件は「異常な事件を起こす人間は異常な環境で育った」「子供は人畜無害」などの根拠のない常識をことごとく破壊した、色んな意味で大きな事件だったのだ。そしてもう2度と起きてほしくないと強く思う。