嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

壊れた脳と生きる 高次脳機能障害「名もなき苦しみ」の理解と支援(2021)

 高機能障害の鈴木大介さんと神経内科専門医、鈴木匡子(きょうこ)先生の対談本。

 自分は不安障害を患っているが高次脳機能障害と似ている点が多いなと感じた。高次脳機能障害は脳が傷付いたことで、不安障害は不安によって脳の容量が減り、注意障害、セットの変換(意識の切り替え)、半側空間無視などの障害が発生する。一見健常者と変わらないので気付かれにくく、理解されづらいのが辛いところである。

 私の場合、不安が出やすいのは対人だ。会話はもちろん電話やメールもかなりの体力と精神力を消費する。何気ない会話でも相手の話を聞き、組み立て、解釈し、理解し、今度は自分の話したいことを組み立て、説明しなければならない。

 この時にふと不安に襲われたら一巻の終わりである。

 不安が脳の99パーセントを占め、使えるのはたったの1パーセント。完全なアウェー状態。相手の言葉が虫食い状態になり、何を言っているのか分からない。何とか聞き取れる単語を予想しつつ、分かった顔で「はい」「そうですね」を繰り返す。

 相手に具体的な返答を求められた時は二巻の終わりである。

 一か八かで返してみるが内容を理解していないので当然返事はとんちんかん。「変人」のレッテルを貼られれば良い方で、大抵は「会話ができない人」のカテゴリーに入れられ、さよならである。

 仮に不安障害だと打ち明け、説明しても人は自分が体験したことしか理解できないので、さらりと受け流され、相手の口からお経並みに長く、意味不明な言葉が溢れ出す。止まってくれと言えばいいのだが、混乱状態で頭は真っ白。ここまでくると不安率は100パーセント。なすすべなし。

「無理だよそんなの…相手の言葉が分からないのに、自分のことも話せないのに、会話のキャッチボールができるわけないよ!(エヴァンゲリオン)」

 一時は文章が読めなくなったり、視野が狭くなったり、自宅のトイレの流し方が分からなくなったり、階段が下りられなくなったりと我ながらよく発狂せず、生き抜いたなと感心する。怖いのはこれらの症状を全て自分の出来が悪いからだと思い込み、病院に行く選択肢が浮かばなかったことだ。

 これは自分が生まれながらの不安障害で不自由が当たり前だったからだろう。不安障害は自分の性格のせいだと勘違いしがちで発見が遅れる場合が多い。なので、ちょっとした違和感があったら、周りにそういう人がいたら病院に行くことを進めてあげてください。早期発見、大事。

 私の不安は暴走しっぱなしだが、不安自体はなくてはならない感情だ。だから不安障害は完治ではなく、共存していく方法を考えましょうと主治医に言われた。正直永遠にこの苦しみが続くのか…と絶望したが薬や行動療法、本で知識を深めたりとちょっとずつではあるが共存の道を模索している。

 本音を言うと、社会復帰はいつになるんだろうか。そもそもこんな面倒な障害を抱えている奴を雇いてえと思ってくれる会社はあるのか。ないならベーシックインカムでもしてくれんだろうか。安楽死でもいいのだが。障害者との共存を拒むなら、案を出してくれと思うのです(感情の暴走)。

 本と関係ない話をしちゃったけど、鈴木さんの日常生活における困りごとをきょう子先生が分析し、仕組みを説明してくれていたので対策を練るのにいい内容でした。脳の容量を上手く使うなんて夢にも思い浮かばなかった。