嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

たべたいの(2017)

初出:前ブログ

 本書の著者、壇蜜の印象はよく分からない人であった。言動も世の人々を魅了する肉体も何もかも幻を見ているかのように曖昧で現実味がない。その印象が強いせいか、出演していた官能映画も全く色気を感じない。世間と自分の印象の差に戸惑いながら、自分は今日まで生きてきた。

 それを解消してくれたのが「たべたいの」である。「週刊新潮」の連載「だんだん蜜味」を書籍化した本書は、飲み物から弁当のパスタまで様々な食べ物について書かれたエッセイが収録されている。エッセイの他に短歌、イラストが添えられ、見て楽しい読んで楽しい本となっている。

 読み始めて驚いたのは文面だ。裏表紙に掲載された儚げな笑みからは想像が出来ぬほど、固い文章と自然に練り込まれた毒。著者曰く「食べ物に情熱がない」らしいのだが、情熱がないのは周りや自身への視線も同じで、常に冷静に時に残酷なまでに全てを浮き彫りにしていく。

 温度の低い文章に添えられたイラストは味があり、若干熱を感じたのはユーモアのおかげだろうか。着眼点が面白く、イラストだけ先に読み進めてしまった。

 著者名は壇蜜だが、過去を交え食べ物を語る内容が多いためか、文章は齋藤支靜加(著者の本名)として紡がれており、「壇蜜」を熟知していれば、いるほど戸惑い、物足りなさを感じるだろうと思われる。現に「こいつ(私)の文章は本当にどうしようもないな。セクシーとか言われているならそれっぽく書けばいいのにさぁ、文化人ぶりやがって」という評価を受けたそうである。それを好意的に受け取る著者は本当にどうしようもなく頭が良い。

 曖昧の霧が晴れ、目の前に現れた壇蜜は「温度が低く、面倒くさがりで仕事人。時折毒を吐く、普通の人」であった。色気はやはり、感じなかった。

作品情報

「たべたいの」

著者:壇蜜

発行:2017年

本体価格:720円+税