嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

仏像と仏教(2014)

千手観音さまの心が、あなたに宿る。仏に祈ると、祈った仏になることができる。仏に救われると、人を救うことのできる仏になることができる。千手観音さまだけではない、お釈迦さまも、阿弥陀さまも、お地蔵さまも同じである。祈った仏の仏心が宿るのである。

引用:仏像と仏教 知っておきたい仏像とご利益と仏教の教え p2

 仏も人間も平等な、持ちつ持たれつの関係に心あらわれると共に、どう考えても弥勒菩薩の救済が57億7千万年後なのは長すぎる。弥勒菩薩が登場するまでの間、如来や菩薩、明王達が衆生を救うため奮闘してくださるが、そう考えると弥勒菩薩の救済の意味は…となってしまう。

 諸行無常一切皆苦諸法無我涅槃寂静を説いたブッダの基本スタイルは時代と時を経て、徐々に変化し、いつからか仏像が作られ、様々なご利益も付属された。煩悩を焼き払い、愛を成就させ、果てには害虫に刺されない加護を…。

 人間の自由すぎる発想に驚き、呆れながら、同時に異形の仏像はあくまで外国生まれなのが興味深かった(そもそも仏教は外国産だが)。日本は昔、当時最先端の中国から様々なものを輸入した。その中で唯一、輸入しなかったのは宦官や纏足など体を異形にする習慣だったと本で読んだ。

 思い返してみると古事記でもイザナミイザナギは長子「ひるこ」を捨ててしまったし、神々も異形な姿はいなかったように思う。異形は大抵、鬼や土蜘蛛など、まつろわぬ民として敵視された。日本人は昔から異形が苦手だったのかと書こうとしたが、古来より日本は多民族であるし、大和朝廷は異形を嫌ったと書けばいいのか…、知識がないからまとまらん。

 本編には仏像や宗派だけでなく、地獄と極楽の記述もあった。でも、どうしても私は極楽に行きたいと思えなかった。願えば衣服も食事も目の前に現れるらしいが死んでまで食事は取りたくないし、 夜は暗い場所で眠りたい自分としては常に光に包まれた極楽は拷問のように感じる(アイマスクは苦手)。死がない設定も理解できないし、これは私の信仰うんぬんではなく、極楽考案者の落ち度だと思う。

 対して地獄は凄惨ではあるものの、考案者の狂喜乱舞が満ちていてテーマパークのような楽しさがある。設定を見る限り、人間の99パーセントは地獄に落ちる。地獄生活は気が遠くなるほど長いがいつか出られるし、お地蔵さんという救済システムもあったりして、意外に落ちても大丈夫なんじゃないかと思っている。でも取り敢えず、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏…。

仏像と仏教 知っておきたい仏像とご利益と仏教の教え

監修:村越英裕

発行:2014

本体価格:920円+税