嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

お坊さんが困る仏教の話(2007)

以下、メモ。

戒を守り切れば悟りに辿りつける考え「律宗」が生まれ、奈良時代日本に伝わった。(29

49日は中国道教の「中陰説(死者の行方が決まるまでの49日間を中陰と呼ぶ)」と「倶舎論(くしゃろん・善悪の行いがあらゆる現象の種子となるという考え)」との合作。(39

仏教の礼儀はほとんど中国で作られ、道教儒教、とくに儒教の儀式を借用したものが多い。(39

当時のインド人が考える生まれ変わりとは?

人は死ぬと火葬の煙にのって天へ登り、月に入る。その後雨に混じり、地上に降り植物を育てる。植物が成長し、食料となり、人の体内に入って精子を作り、卵子と合わさって再び人となると考えていた。(41

宗教という単語は明治にはじめてできた。(51

古代日本人は死後の魂は近くの山や海の彼方に浮かぶ島、高原の森などあまり遠くない身近いところにとどまると考えていた。初めは荒御魂、その後、子孫によって丁寧に祀られ、次第に和御魂にかわり、祭の日には海産の幸のお供えをうけながら集落の繁栄や一族の無事を見守るとされていた。50年ほどすぎると祖霊神へと神格が上がり、さらに高い嶺の山の頂きや深い森に鎮まると信じられていた。したがって自然を敬うことは先祖の霊を尊ぶこと。である(53

仏教といち早く融和したのは国津神平安時代になると国津神と仏教の三林修行の行者たちが一体となり、役の修行を開祖とする修験道という日本独自の宗教が作られた。(57

中国から整った儀式として葬儀を輸入したこともあり、次第に葬儀の担当は僧の手に移っていった。それまで朝廷の葬儀を担当していたのは遊部(あそびべ)と呼ばれる人々。彼らは職を失い民間の死者の火葬を行う三昧聖(さんまいひじり)に転業した。(71

龍樹(りゅうじゅ)は釈迦の思想を空と解釈し、釈迦の人柄、思いやり溢れる言動に注目し、釈迦の仏格に頼れば衆生を救ってくれるに違いないと考えた。(86、87

庶民が墓を持ち始めたのは江戸時代から。平安時代は公家でさえ埋葬地に目印の石を置いておく程度だった。

お坊さんが困る仏教の話

著者:村井幸三

発行:2007

本体価格:680円+税