嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

鬼と日本人(2018)

 鬼に始まり、片側人間(異類婚姻で生まれた子ども)に終わる。

以下、気になった点のメモなど。

 仏国童子は齢130年をもって雷電と共に天に去った。(11

 鬼は人間に危害を与える一方、福を招く存在である。近代に入り社会秩序が安定すると共に鬼の両義的な性格が奪われ、邪悪な力の形象とみなされる傾向が強くなった。(16

 鬼は死霊を意味する中国の漢字「鬼」が結び付けられ重なった概念。隠れて見えない隠=鬼などの日本特有の幅広い意味からは遠のく。(47

 三途の川が日本に知られるようになったのは平安中期。

 鬼が人を喰らう表現は風土記に既に登場している。

 岩穴は鬼の世界へ続いている。

賢王・賢人を語る説話は、賢王・賢人の偉業をたたえるために、鬼の復活と退治を語らねばならない。

引用:鬼と日本人 p102

とりわけ注意したいのは、こうした「王権説話」が流布した時代、つまり中世後期は、この物語が語るように、上皇天皇の王権が盛んであったときではなく、むしろ極端に衰退を迎えていたときであった、ということである。

引用:鬼と日本人 p125

 珠取り説話は王権説話?

 富は異界やここではないどこかから移動してくると昔の人は考えていた。また欲張ると消えてしまう。ゆえに一寸法師は打ち出の小槌の使用を控えた。

「タマ」はカミやモノなど広い意味を含む。人間社会を脅かし秩序を乱す「タマ」は古代では「アラタマ」。人間社会側からの操作により秩序側に吸収されると「ニギタマ」となる。

こうした「王土」と「鬼」の関係についての観念をよく示しているのが、古くは『太平記』に見える。鬼の首領藤原千万を退治した紀朝雄が詠んだ「草も木も我が大君の国なればいづくぞ鬼の棲なるべし」という歌である。

引用:鬼と日本人 p89

 鰯を焼いて串刺しにし、家の戸口に挿しておけば、やってきた鬼がこれを人だと思って食う。

 天から攻めてくる鬼を退散させる方法。正月の門松は鬼の墓標。しだは鬼のあばら骨、ゆづりは鬼の舌を表している。桃の花は鬼の目を抜き酒に入れて飲むことを、草餅は鬼の皮、ちまきは鬼の頭、菖蒲を酒を入れて飲む、そうめんや菊の花、栗を食うことは鬼の体を食うことを表し、こうした行事を行うことが鬼の調伏となる。(134、135

ナマハゲの攻撃の標的になるのは、子どもであり、まだ子どもが生まれていない若妻や、他所から来た養子あるいは奉公人たちであった。ナマハゲを演じる青年たちは村落共同体における権威をやがて手にする人びとであり、ナマハゲという力をかりて、充分にそうした権威になじんでいない、いうならば外部の者を攻撃し、村落共同体の権威の存在を明示しそれへの服従を強制するのである。それゆえに、そうした共同体の権威を身につけている家の主人は、その来訪を歓迎=歓待するというわけである。すなわちナマハゲは、村落の一員として好ましい〈人間〉をつくり出すために呼び招かれた恐ろしい鬼なのである。

引用:鬼と日本人 p197

鬼と日本人

発行:2018

著者:小松和彦

本体価格:880円+税