嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記(2011)

 解説(精神科医岩波明)を読む限り、統合失調症は知的障害のないものと考えられているが、実際は思考障害など、知的能力の衰えがみられるという。思考力や判断力などが衰えてしまい、患者達は複雑な心理現象をまとめて表現する能力を失っている事が多い。つまり統合失調症患者は己の苦しみを外部に伝えることができない。

 しかし本書は鮮明に幻覚、幻聴の恐怖と苦しみ、心理描写が見事にまとめあげられている。この点について岩波氏は著者の病状が「『統合失調症』ではなく、『統合感情障害』であり、統合失調症で通常みられる思考や言語の障害が出現していないため」と述べている。

 幼少期からアニメに親しみ、早稲田大学に入学、その後、アニメ制作会社に就職した著者の人生は一見、順風満帆に見える。しかし就職後、二年数カ月後に発症。入退院を繰り返し、二〇一一年時点ではグループホームに暮らし、精神科のデイケアに通う日々だという。

 著者を苦しめた幻覚、幻聴は想像を絶するものばかりだ。ありとあらゆるものが自分への暗号だと思い込む、自分の精神状態と自然災害との連動、盗聴、盗撮の被害妄想、道ですれ違う人々から殺意を向けられていると困り果てる…。

 著者の苦しみは十二分分かっているつもりだが、読み手の私は幻覚、妄想の種類の豊富さ、人間の想像力の豊かさに驚いた。中でも印象に残っているのは以下の場面である。

何を思ったか、近くに止まっていたそば屋のバイクのおかもちを開け、中から数本の割り箸を取り出し、その意味するものを必死で考えた。これも何かの暗号のはずだった。しかし、意味はわからなかった。今、手に持っているプラパズルの全組み合わせを完成させれば、この地獄から逃げられるかもしれないと思ったが、それは不可能で、絶望感を高めるだけだった。

ボクは心底疲れ、従来の真ん中で大声で叫んだ。

「おかあさーん」

と叫べばよかったのかもしれない。しかし僕は、僕に課せられたこの試験は、CIAか内閣調査部の仕業だと思い、

「田中(角栄)さーん、竹下(登)さーん、勘弁してくださいよー」

と叫んでしまったのだ。

引用:ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記 p117、118

 不謹慎極まりないのは重々承知しているが、私は大いに笑ってしまった。これは私の性格の悪さや共感能力の低さだけが原因ではない。数カ月前から身内に著者と同様の症状が現れ、良くも悪くも発狂中の人間に慣れてしまっているのだ。本書は私にとって「統合失調症闘病記」兼「幻覚、幻聴あるある本」であり、色んな意味で興味深く、おもろいんである。

 繊細な問題なので詳しくは書かないが、身内と著者の一致していた症状は幻聴、盗聴、頭の中が外に漏れているなどだった。特に興味深かったのは、自分を苦しめる幻聴、幻覚を確かめる行為を躊躇する場面だ。著者は家で床に入った時、部屋の外に人の気配(階段を上り下りする音だったか?)を感じた。普通なら扉を開け、確かめるが著者はどういう訳か、確かめてはいけないと目を閉じてしまった。身内も幻聴か否かを確かめるため録音するよう勧めると、何故かためらって録音ボタンを押さなかった。恐らく彼らは本能的に自分の見聞きしているものが現実ではないと分かっているのかもしれない。

 本書は当然、著者視点で書かれているが、個人的に家族や友人など、第三者視点でも読んでみたいと思った。著者の考える現実とどれほどのズレがあるのか、発狂する人間に対する感情の揺らぎも是非、読みたい。

ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記

著者:小林和彦

発行:2011

本体価格:590円+税