嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

『カムイ伝』のすゝめ 部落史の視点から

 漫画「カムイ伝」から見る部落史。非常に重いテーマで読み進めるのが終始辛かった。…というわけではなかった。本書の始まりは学生運動を始めとする激動の時代を生きた著者の青春の日の思い出話から…と書けば伝わる人には伝わるのでこれ以上は書かない。

 最初にも書いた通り、テーマは部落史と重く、著者も真正面から向き合っているのだがカムイ伝の登場人物に焦点を当てた「正助」の章だけちゃちゃ入れが多く、読んでいて戸惑った。他が真面目なのでそこだけ悪い意味で目立ってしまっている。

 必ずしも重いテーマを重々しく語る必要はないが、何故正助の時だけちゃちゃ入れを多く入れてしまったのか。著者は正助を理想的で優秀、人間くささがないと書いていたが、好みの人物ではないなら避けても良かったのではないか?と疑問が残る。

 以下、気になった文章の引用。

「徳川の封建社会は、百社から年貢(六公四民……事実上は、それ以上)をしぼりとるだけしぼるとることによって、なりたっていた。人びとを分裂させて互いにいがみあいをさせておかねばならなかった。百姓が苦しみからぬけだすために団結することを怖れ、まったく同じ人間どうしを、士・農・工・商・非人という身分制度で、差別したのである。(略)」

引用:『カムイ伝』のすゝめ 部落史の視点から p37

「いまや、白オオカミに対する差別は、餌ぶそくからの解決法として自然発生した本質からはずれ、習慣化していた(略)」

引用:『カムイ伝』のすゝめ 部落史の視点から p41

「(略)人間社会の場合には支配者の利益温存のために、政策として差別がこしらえられ、身分というものが法制化している。しかもこの差別によって人びとはたがいに反目しあい、分裂しみずから歴史を逆行させようとする支配者の権力を支える結果となっている。」

引用:『カムイ伝』のすゝめ 部落史の視点から p43

〈差別〉を説明しようとして、逆に〈差別〉を正当化する理論ともなる。部落史の研究にも、同様のものがけっこうあるのではないか。

引用:『カムイ伝』のすゝめ 部落史の視点から p45

志賀忍の『理斎随筆』(天保四年〈一八三三〉刊)に、睾丸のおおきな乞食の話が収録されている。かれは、東海道の戸塚宿で、おおきな睾丸の上に〈たたき鉦〉を置き、念仏を唱えて銭をもらっていた。(略)

このような生き方は、差別があるために生まれてくる。それ自身が、〈差別の結果〉であることはまちがいない。だから、全面否定はできない。しかし、けっして差別からの解放ではない。差別があることを前提にした生き方だからである。

引用:『カムイ伝』のすゝめ 部落史の視点から p46、47

差別が、貧困と社会的地位だけの問題であったならば、〈立身出世〉によって差別を克服することも不可能ではない。ただしそれは、個人的な〈差別の克服〉にとどまるであろう。

引用:『カムイ伝』のすゝめ 部落史の視点から p84

〈偏見を持っていると、実生活で損するヨ〉という教訓は、ブルジョア的価値観だが、現在でもまだ意味を持っている。

引用:『カムイ伝』のすゝめ 部落史の視点から p87

カムイ伝』のすゝめ 部落史の視点から

著者:中尾健次

発行:1997

本体価格:1600円+税