嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

ネイティブ・アメリカンー先住民社会の現実(2009)

 メモ

外見やファッションだけでなく、先住民の歴史や文化への理解度や、自分のリベラル度を誇示するために、ワナビーになる白人は多い。

(略)先住民のように振る舞う白人が出現した理由のひとつに、過去の侵略や虐殺行為にたいする罪悪感を挙げる。先住民の文明を破壊し、完全に他者を征服した民族にしかもちえない、郷愁の念にも似た奇妙な感情がある。白人が対先住民戦争に完全に勝利をおさめたうえで、先住民を美化し、みずからがその表象に生きようとする心理の背景には、帝国主義的な歪みが感じられる、と彼女はいう。

引用:ネイティブ・アメリカンー先住民社会の現実 p138

彼は、白人が演じる先住民は、反逆者のイメージでつくられてきたと指摘した。その歴史は建国期に遡る。たとえば、一七七三年のボストン茶会事件のとき、英国の植民地支配に抵抗するアメリカ人たちは、先住民の格好をしていた。すでにこの時代から散見されるワナビー現象は、アメリカに新天地をもとめた白人たちが、真のアメリカ人としてのあらたなアイデンティティを形成する役割を果たした。

近年においても、自己のアイデンティティを見つけられない白人が、その解決策として、自分のなかにある「インディアン性」に頼り、ワナビーになる傾向がある。

引用:ネイティブ・アメリカンー先住民社会の現実 p139

彼は長いあいだ鉄道会社で働いてきたが、引退後は心臓の具合が悪く、町の総合病院に通っている。薬草を調合し、先祖に祈ればどんな病気でも治せた、というのは遠い過去の話で、「最近はストレスの多い社会になって、白人の病気に先住民も罹るようになった」とぼやいていた。白人の病は、白人の薬で治すしかない。

引用:ネイティブ・アメリカンー先住民社会の現実 p225

「自分たちがいて、あとから来た人たちがいて、世のなかは成り立っています。長いあいだ自分たちだけで生活してきたけれど、いまは、たくさんの人たちとつながっていく時代です」

シュメウエビ族との長いあいだおなじ砂漠に暮らすモハベ族の言語には、「嫌う」という言葉がない。とにかく納得のいくまで話し合い、妥協点をみつける。意見の食いちがいによって他人を排除することはしない。

引用:ネイティブ・アメリカンー先住民社会の現実 p226

部族によっても、もちろん個人によっても異なるが、現在の先住民は、「移民たちは全員大陸から出て行ってほしい」と言っているわけではない。彼女の訴えは、きちんとおたがいを理解しあい、共存していこう、という呼びかけなのだ。

先住民がもとめているのは、文字通り、現在の州政府と同等の権利をもつ自治国家の建設である。それは一般的に考えられるような「独立国家」としてではなく、アメリカという国のなかで、自分たちの自治権をどう拡大していくかということである。先住民としての権利の主張はアメリカ社会における多民族の共生を意味している。

「わたしたち(モハベ族)は大丈夫。部族もあるし、聖なる川もあるし、先祖から受け継いできた生き方もありますから。でも、白人たちはこれからどうなるのかしら」

引用:ネイティブ・アメリカンー先住民社会の現実 p228

ネイティブ・アメリカンー先住民社会の現実

発行:2009年

著者:鎌田遵

本体価格:780円+税