嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

繰り返す夢と夢「そこは佐藤さんのお宅ですよ。」

 兄の家を訪れ、インターンホンを押した主人公に「そこは佐藤さんのお宅ですよ」と声をかけたのは中年女性。主人公は兄の家だと主張するが、女性は聞く耳を持たず、佐藤さんのお宅だと譲らない。困惑する主人公を尻目に女性は佐藤さんがいかに素晴らしいお嬢さんかを語り始める。

「気立てのいいお嬢さんでね、美人で料理もお上手なのよ。あんな子をお嫁さんにもらえる人は幸せでしょうねぇ」

 主人公が兄の家を訪れるたび、現れ、佐藤さんを褒める中年女性。まるでゲームキャラのように(まごうことなきゲームキャラだけども)同じ言動を繰り返す中年女性は奇妙で不気味だ。しかし、どこか物悲しさが漂っている。

 夢のような現実、現実のような夢を行き来しながら、物語は真相に近づいていく。真相は現実でありふれた、人によっては悪だと両断し、あっさり捨ててしまえるものだった。しかし当事者である登場人物達には到底受け入れられない真相だった。彼らは真相、現実を受け止める苦悩より、幻想を生きる苦痛を選んだ。

 人間はとても弱くて、何かにすがらないと生きていけない生き物だと私は思う。人によって、それは宗教だったり、漫画だったり、小説だったり、アイドルだったりする。この物語における「すがる対象」はたった一人の人間だった。それも、世間一般的には悪人と呼べる人だった。

 でもその人をそれぞれが愛してしまっていたから、みんな幻想を生きるほかなかった。主人公は兄の家のインターンホンを押し続け、中年女性は佐藤さんを褒め続ける。そうしなければ誰も生きてはいられなかっただろう。物語の根っこにあるのは人の愚かさと弱さだ。でも、だからこそ、切なくてどうしようもなかった。

そこは佐藤さんのお宅ですよ。

ジャンル:ホラー、ノベル

推奨年齢:12歳以上

制作:摩訶子

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もふもふもふもふ「あなたがつくるモフモフな相棒」

 カオスなゲームを遊びすぎて、無意識に癒やしを求めた。モフモフはほぼ百パーセントの確率で私を癒やしてくれる。例にもれず、このゲームも癒やし度抜群だった。

 内容はいくつかの選択を選び、自分好みの相棒を作るというもの。名前も決められる。「つくれるモフモフは560種類!」。私の相棒は甘えたがりの狐だった。名前は魔女の宅急便の主人公からとって「キキ」にした。

 今思ったけど、魔女の宅急便関連の名前をつけるなら、動物選択を猫にすればよかった。じゃあ、名前も自動的にジジだ。でもジジはキキの相棒で、このゲームは自分の相棒を作るから、避けた方がいいのか、どうなんだ。気にせんでいいのか、好みの問題か?駄目だ、疲れすぎて頭が回らない。

 目の前に現れた相棒は宇宙レベルで可愛く、切実に画面から飛び出してきてほしかった。

あなたがつくるモフモフな相棒

ジャンル:シュミレーション

推奨年齢:全年齢

制作:リコペマ

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同時代禅僧対談〈問い〉の問答(2008)

 曹洞宗、南直哉、臨済宗玄侑宗久の対談。お二人共勉強熱心で知識量、頭の回転も早く、ついていけない話だらけだった。経典関連は全滅。それ以外の仏教のあり方、葬式、言語、異界などは何とかついていけたような、ついていけなかったような。痛烈に感じる、勉強不足に続く勉強不足。二回読んでも頭に残ったのは一パーセントあるかないか。これは勉強不足じゃなく、自分の頭の問題かもしれない。まあ、お二方とも慶応、早稲田の出なので…と言い訳しておこう。

 記憶に残ったのは南さんのところへ出家したいと尋ねてきた男性の話だ。男性は小学四年の時、猛烈ないじめに遭い、三十歳まで引きこもっていた。南さんは男性の話を聞くことに決め、だいたい三時間くらいで終わるだろうと予想を立てていた。しかし男性は夕方の五時から翌朝の九時までぶっ続けで、自分がいかに切なかったかを語ったのだった。

 男性が溜め込んでいた思いの量に驚くと共に南さんの忍耐強さにも驚く。対談相手、玄侑さんの「それだけ長時間よく聞き続けましたね」という言葉に「だって、そうでないと信頼関係が崩れてしまいますから。最初に、『聞いてやるからぜんぶ言え』と言ったんですから」と南さんは答えている。男性はこの後、外に出られるようになり、不登校の子供達が集まる場所でボランティアをしているという。

 ここからは私の完全な想像になるが男性が外に出られるようになったのは、南さんに全てを話したからだと思う。「ただ話を聞く、聞いてもらう」。これはかなり大きな力を持っている。それこそ人を百八十度と変えてしまうような絶大な力だ。

 もしもの話をしてもしょうがないけど、もっと早くに男性の話を聞いてくれる人がいたら引きこもりにならずに済んだのだろうか。男性は心療内科にかかっていたものの時間が決められているので、初めから終わりまで全てを話したことはなかったという。お二人はそれをカウンセラーと心療内科の問題点だと語っている。

 多分、男性のように自分の思いに苦しんでいる人は大勢いると思う。私の知る限り、主語が大きい人、自分語りへの風当たりは強いようだし、近頃、急激に叫ばれるようになった個性だって褒められる部分だけが取り上げられている。精神病や認知症患者などの「個性的すぎる言動」はどういう訳か嫌悪の対象だ。

 反町も戸惑うほどの、言いたいことが言えなさ過ぎる世の中。答えも同意も否定も必要ない、ただ聞いてもらいたいだけなのに、それが許されない。と、書きつつ経験談として実はちょっとだけ同意してほしかったりする。みんな辛いのは知っているし、自分のしんどさは世界レベルで下の方なのも十二分わかっている。でもしんどいんだから、自己計測の地獄を味わってなお生きているんだから、たった一言「大変だね辛かったね」くらい求めてもいいじゃないか。他人へ要求が苦痛の種だとしても、それでも人間は自分の思いを抱えるには脆すぎる。だから群れるのだろう。

 随分、後ろ向きで好き勝手なことを書いてしまったけど、世界の見方は自分でいくらでも変えられるし、良くも悪くもこの世は諸行無常。怒ろうが笑おうが一切は過ぎ去っていく。状況が変わるまで、ひたすら足掻くのも良し、先人の言葉に解決の糸口を求めるのも良し、自分を傷つけるのも良し、他者に当たり散らすのも、まあ悪いとも良いとも私は言えない。人間、少なくともこの国に暮らす人達はやっていいことと悪いことは分かるはずだ。そうはいっても世の中は耐える他ない、解決法のない問題はいくらでもあること。そしてその答えは「分からん」で大丈夫だったりするので、わりかし適当でも生きていけるもんだぜ。と最近思います。

同時代禅僧対談〈問い〉の問答

著者:南直哉、玄侑宗久

発行:2008

本体価格:1800円+税

分からなさが分からん「質問に答えるだけのゲーム」

頭が痛いので質問コーナーは終わりにします…。

「こっちの台詞だ!」と心の底から思ったのは初めてだった。

 タイトル通り質問に答えていくだけのゲームなのだけど、質問の意味も選択もその後の展開も何もかもが分からなかった。テキストは日本語で書かれているし、内容も支離滅裂ではないのに、全くもって、なにが、どうなっているのか、分からない。イラストも、何とも、こう、…本当に分からない。ここまでくると何が分からんのかが分からん状態になってくる。現代アートピカソの分からなさを遥かに超えている。

 それでいて理解しようとすればするほど、思考停止に陥る不思議。多分、私の自己防衛本能が働いたのだろう。…怖い。

背景を優しい色にしましたが、文字のデコレーションを盛りすぎて非常に目が痛くなるかもしれません。

気を付けてください。体の支障の責任は負えません。

引用:質問に答えるだけのゲーム - 無料ゲーム配信中!スマホ対応 [ノベルゲームコレクション]

 ゲーム紹介ページの文章。優しい色もデコレーションも記憶にない。当然目も痛くなっていない。…怖い。

質問に答えるだけのゲーム

ジャンル:?

推奨年齢:?

制作:砂漠

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残酷な幸せの真実「しあわせなわたし」

 しあわせなわたし。でも隣りにいる人はしあわせなひと?

 繰り返し描かれる、正体不明、でも仲が良さそうな二人の何気ない日常。美味しそうな食事を取り、温かそうな布団で眠る。一日の終わりに表示される「しあわせ!!!」。戦争やパンデミックなど、これでもかと騒がしい世界に生きる私には二人の穏やかな毎日が羨ましくてしょうがない。しかしその羨望も日を重ねるごとに消えていった。

 クリックするたび日が進み、徐々に浮き彫りになる幸せの犠牲。それでも一日の最後に表示される「しあわせ!!!」の七文字。不気味さよりも恐怖を感じたのは「しあわせ!!!」に嘘偽りがないことだ。本当に、一ミリも嘘がない。幸せだろう、と思った。あくまでも、あなたは、と。

 人間関係で大切なのは相手を観察することだ、と私は思う。それを怠り、自分だけに目を向けてしまうと会話はおろか、関係を築くのも不可能になる。仮に出来たとしても歪な形となり、相手をないがしろにしてしまう。

 このゲームの登場人物も自分の幸せに執着するあまり、相手が見えなくなってしまっていた。こういう光景は何度も見てきたし、自分にも身に覚えがあるので後悔の念で消え入りたくなる。反省の意味も込め、独りよがりの幸せを避けたいが、独りよがりではない、犠牲のない幸せはどこにも存在しないような気がする。宇多田ヒカルことヒッキーも歌っていたように「誰かの願いが叶うころあの子が泣いてる」。

しあわせなわたし

ジャンル:ホラー

推奨年齢:?

制作:ここにゃん

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神社で柏手を打つな! 日本の「しきたり」のウソ・ホント(2019)

 御朱印は寺発、恵方巻の歴史は浅い、初詣が定着したのは昭和から、二礼二拍手一礼は神官が祭祀で行っていたのを一般人が真似をした、除夜の鐘を打つようになったのはラジオのスタジオに鐘を持ってきて、つき始めたのが始まり…。

 右から左へ何の疑問もなく従っている「しきたり」。その発祥を調べると意外に根拠がなかったり、歴史が浅かったり、商業戦略があったりと拍子抜けする。新しいしきたりが生まれる影で古いしきたりが消えていくのは言うまでもなく。そんな新旧の入れ替わりを行いながら、様々な事情、文化を取り入れ、しきたりは脈々と受け継がれていく。

 最近、新しいしきたり、風習になりつつあるのはハロウィンだろうか。個人的にあまりいい噂は聞かないし、一部の参加者の傍若無人な振る舞いは世界にも発信されているらしく、とても恥ずかしく思っている。本書によると今のハロウィンと同様の騒ぎは日本にクリスマスが入ってきた戦後すぐからあったようで、彼らは「クリスマス族」と呼ばれていたらしい。大の大人がクリスマスに飲めや騒げやと大暴れし、交通事故やけが人が続出したという。その様子は黒澤明監督の「醜聞(スキャンダル」で観られるとのこと。人間、変わらんな…。

神社で柏手を打つな! 日本の「しきたり」のウソ・ホント

著者:島田裕巳

発行:2019

本体価格:860円+税

走れメロス(1988)

 オモコロ「本を読んだことがない32歳が初めて「走れメロス」を読む日」に触発され再読。みくのしんさん(本を読んだことがない32歳)は川の濁流の描写、文体などを味わっていたが、私は一度たりとも描写や文体に感動した覚えがない。

 原因は文を脳内で映像化するタイプだからだと思う。だから、みくのしんさんのように文体に疑問をいだいたり、感動したり、引っかかったりしない。

 みくのしんさんの本の読み方は物語に入り込み、行間を読み、一旦立ち止まって、文と自分の感性が織りなす変化を楽しんでいた。文を映像化する私には到底真似の出来ない芸当だ。

 本の読み方は十人十色。良いも悪いもないが、みくのしんさんの読書は本を余すことなく楽しんでいるようで、とてもうらやましい。

走れメロス

著者:太宰治

発行:1988