嗚呼、刀葉林

読んだ本とフリゲについて、書いたり書いてなかったり。

「母親に、死んでほしい」介護殺人・当事者たちの告白(2017)

今、介護の真っただ中にいる人にも話を聞いた。その男性は、認知症の母親が倒れた際、救急車を呼ぶのをためらってしまったことがある、と強く後悔していた。それでも、介護殺人を犯した人に対して、こう言うのだ。
「介護終わりましたね、終わったんですねと、声をかけたい」
引用:「母親に、死んでほしい」介護殺人・当事者たちの告白

 まえがきに書かれた、この文を読んだ瞬間、胸が詰まって、切なくってしょうがなかった。殺人は許される行為ではない。しかし、この一文の持つ重さ、絶望のどん底から放たれた、この言葉に対する反論を私は持っていない。

介護を始めてから事件に至るまでの期間を調べると意外な結果が出た。取材で状況が判明した77件中、「10年以上」は15件、「5年〜10年」は16件、「1年〜5年」は26件、そして驚いたことに、「1年未満」で20件起きていたのだ。
さらに、事件を起こした人を調べると、デイサービスなどの介護サービスの利用状況について、取材で状況が判明した67件のうち、4分の3にあたる50件で何らかのサービスを利用していたことも明らかになった。認知症の妻を殺害したある男性は、介護期間がわずか3か月だった。しかもヘルパーがほぼ毎日来てくれていた。
引用:「母親に、死んでほしい」介護殺人・当事者たちの告白

 初期の介護は介護者もされる側も自分の置かれている状況を受け入れられず、混乱状態だ。パニックや将来への不安などネガティブな感情が起きやすく、第三者の介入があっても殺人に結びついてしまうのだろう。

 それを防ごうと北海道の栗山町では「アウトリーチ」が行われている。

栗山町で行われているのは、「アウトリーチ」と呼ばれる手法だ。
アウトリーチとは、「手をさしのべる」という意味で、自分から支援を求めない人に、支援側が積極的に働きかけて、支援を行うことだ。
日本の行政は、「申請主義」を取り、、自ら申し出ないと支援などが受けられないことが少なくない。

アラジンの牧野史子代表は、既存の介護をとりまく制度は、介護される側を中心に設計されていて、介護者のことを考えてくれる存在はどこにもないと指摘する。

引用:「母親に、死んでほしい」介護殺人・当事者たちの告白

 アウトリーチは介護に苦しむ人だけでなく、日本にある数多くの問題を解く有効な方法ではないかと思う。

認知症の人が「さっきも言ったでしょ」と言われて怒る理由 5000人診てわかったほんとうの話(2020)

※患者、暴力などの単語は著者が「レッテルを貼った瞬間理由を考えなくなる」などの理由から避けているが、言うまでもなく著者と私は別の人間なので気にせず書く。

 著者はのぞみメモリークリニック院長。5000人の認知症患者を診た経験から認知症の実態や事実を書いている。とにもかくにも認知症患者を人として捉え、寄り添うことが大切だと説く。認知症にみられる暴言や暴力などの行為は理由があり、薬で抑えるのではなく、原因を解明することで症状がなくなるという。

 認知症だからと人ではない何か扱いしない。

 言いたいことは分かるし、院長の言い分は素晴らしいと思う。が、私は家族がある日突然暴力的になり、自分の便で遊び始めたら、認知症が原因だと分かっていても冷静でいられない。すがる思いで病院へ連れていき、「あなたが変わってください。あなたの理解こそがご両親を変えます」と説得されたら絶望する。本当に困っているのは認知症の当事者だが、寄り添いや思いやりは心に余裕があってこそなのだ。

 勘違いならいいのだが、認知症問題になると介護側の人間性が消失するのは何故だろう?暴力を振るわれても暴言をはかれても便を投げられても相手の立場を考え、行動する。そんな人間、この世に存在するだろうか?身近な人間が認知症になったら周りは自動的にロボット化するのか?誰か、教えてくれ。

認知症に後ろ向きなイメージを持つことは認知症になった時の人生が闇となる」というのは著者の言葉。

 わし、介護や認知症にネガティブなイメージを持ち過ぎなのかもしれんねえ。

告白します、僕は多くの認知症患者を殺しました。(2017)

 医療界の不都合な事実と向き合い、コウノメソッドと出会った医師と認知症患者とその家族の物語。

 コウノメソッドとは医学博士であり認知症専門医である河野和彦によって開発された対象治療を指す。患者の症状を事細かく観察した上で薬や点滴を行うので、診断が間違っていても大きな問題は起きない、という。

 認知症は治療法がないので、アプローチの仕方は多いほうがいいのではないかというのが個人的な感想。医者も薬も全知全能じゃない。

コウノメソッドは、陽性症状の強い認知症でも家庭介護が続けられるように処方することを最優先として一般公開された薬物療法マニュアルに集約されており、そのコンセプトは以下のとおりである。

(家庭天秤法)薬の副作用を出さないために介護者が薬を加減すること

(介護者保護主義)患者と介護者の一方しか救えないときは介護者を救うこと

サプリメントの活用)薬剤と同等、あるいはそれ以上に効果がある(と河野が主張する)サプリメントも併用する

引用:ウィキペディア

社会脳からみた認知症 微候を見抜き、重症化をくい止める(2014)

(略)人物評価のための脳の領域は諸外国の研究間で微妙に異なっており、これは人物評価が、国や民族、歴史や文化、宗教などによって異なることを反映したものと考えられています。生きている社会の違いによって脳の働き方にも違いがあることを示唆する結果であり、社会脳科学らしい展開がみえてきた好例と言えるでしょう。

引用:社会脳からみた認知症 微候を見抜き、重症化をくい止める

 これを読んで、なるほど戦争がなくならんわけだと思いました。

時刻表的な行動自体は、決して特別な行動様式ではなく、身近な日常の中によくあるパターンなのかもしれません。多彩で不規則な生活こそが、脳による何らかの支配のたまものであって、脳からの抑制が外れることで、時刻表的な行動・生活が生まれてくるような気もします。

引用:社会脳からみた認知症 微候を見抜き、重症化をくい止める

 これを読んで、我々は大変な努力を重ねながら、日々生きているのだなあ、生きているだけで花丸!と思いました。

 糖尿病、うつ病患者は健康な人よりも二倍、高血圧はそうではない人に比べ二、三倍、認知症になりやすいそうです。うちの父親は糖尿病、高血圧のWコンボを決めているので、今から心配です。いくら知識があっても実際に介護を始めたら、感情を揺さぶられ、冷静ではいられないでしょうし。

 介護殺人は介護を初めて間もない時期に発生することが多いそうです。介護者だけでなく、認知症患者も自分の身に何が起きているのか分からない混乱期であり、混乱と混乱がぶつかり合い、カオス状態となるからでしょう。第三者、デイサービスやヘルパーが介入しても起るのですから、悲しみのカオスここに極まれり、です。

 周知の通り、介護は仕事として確立されており、つまり専門知識が必要です。それを素人がやるというのは到底無理な話。しかし莫大な社会保障を削減するため、国は自宅介護を推奨しています。他にも低賃金、介護離職、現場のハラスメントなど、問題が山積みなのにこれといった解決策はなし。もう、なんだかなあと私の中に隠れていた阿藤快が顔を出しました。

病気の基本から予防法、最新治療まで 認知症とその治療法がよくわかる本(2021)

 著者の「レビー小体型認知症の特徴的な症状の1つ、幻視症状が座敷わらしに関係しているのではないか?」という主張が面白かった。

 現代社会と違い、昔は、夜は闇深く、電気なんて便利なもんはないので、昼でも室内は薄暗かったはずだ。幻視は壁にかけてある洋服や部屋のシミが人に見えたりするので、見間違え放題である(?)。

 さらに面白い事実を発見した。ウィキペディア先生曰く、座敷わらしは主に岩手県で目撃されている妖怪らしい。理由は以下の通り。

佐々木喜善は座敷童子のことを、圧殺されて家の中に埋葬された子供の霊ではないかと述べている[14]。東北地方では間引きを「臼殺(うすごろ)」といって、口減らしのために間引く子を石臼の下敷きにして殺し、墓ではなく土間や台所などに埋める風習があったといい(略)

引用:ウィキペディア

 年老いた親が認知症になり、過去に殺害した子供の幻を見たものが座敷わらし。不謹慎だが面白い考察だ。でも、その後栄えるのは何故なのだ…?罪悪感から商売に精を出した、とか…?

できることを取り戻す 魔法の介護(2017)

 安全最優先の介護現場では「ヒヤリハット」の報告が必要不可欠となっている。そんな中たった1人、利用者の笑顔を報告する職員がいた。笑顔を見つけることで利用者のやりたいこと、得意なことの発見に繋がり、職員にも笑顔が連鎖した。

 利用者のやりたいことを取り戻す。「魔法の介護」に必要なのはもちろん利用者の笑顔。さあ、現場に咲く笑顔の花を探せ。

 名付けて、我ら「にやりほっと探検隊」!

 という介護系には珍しく(?)非常に前向きな本。説明を自己流にアレンジしまくってしまったが、本自体は真面目なので注意されたし(そもそも、こんな不真面目な介護本出版されるはずがない。あったら読んでみたいけど)。

 にもかかわらず最後まで読めなかったのは何故なのか。自分の闇属性が強すぎるせいか。幼少期から情熱、一致団結、スーパーポジティブシンキングが苦手な生粋の闇属性人間。松岡修造に会ったら、焼け死ぬ自信がある。

「入居者の残された能力に着目でき、ポジティブなケアを取り入れることができた」

「入居者の生活をよくするためになにができるかをスタッフで話すきっかけになった」

「生活歴を知ることで、終末期のケアに生かせる」

引用:できることを取り戻す 魔法の介護

 ポジティブのまばゆさに騙されそうになったけど、「にやりほっと探検隊」が結成されるまで利用者とゆっくり接する時間がなかったのだろう。介護現場って本当に余裕がないのだなあ…。大変なんだから、もっと優遇されてくれと祈る日々です。

からだの無意識の治療力 身体は不調を治す力を知っている(2019)

 精神病を治療するのに精神のアプローチだけでなく、体からもアプローチしようよという内容。著者曰く、文明が進み、体を置き去りにした結果、起こったのは精神病の多発ではないか?

 この主張に納得したのは自分が不安障害持ちだからだ。不安障害とは不安や恐怖感を感じやすいため、日常生活に支障をきたす精神病だ。切符をなくす、買い物袋を置き忘れる、鍵をなくす、数秒前触っていたものが行方知れずになる、生傷が絶えないのに気付かないなどなど…。これらは全て不安に支配され、体に気が回らなかったからかと、ようやく訳を知る。

 この本をきっかけに自分の体を観察するようになったのだが、私は常に体を強張らせていた。ゲームをしていようが、本を読んでいようが、隙あらば緊張している。頭ではリラックスしているつもりでも体は緊張。寝ている時さえそうで、寝起きは体が痛い。戦中の侍でもないのに24時間、365日戦闘状態。

 精神を病むのは当然である。というか子供の時からこの状態なのによくぞまあ、死なずに生き抜いたものだ。

 対策として意識して体の力を抜くようにしている。これだけで結構楽になるし、プラシーボ効果なのか精神的苦痛も減った。不安がもたげても掌をこすり合わせるなど、皮膚(体)に集中することで思考を停止し、短時間で不安の沼を抜け出せるようになってきた。数日でこれだけの効果があるということは自分に合っているのだと思う。

 他にも第2の脳と呼ばれる腸にも気を配るようにしている。うつ病などで不足しがちなセロトニン(幸せホルモン)の95パーセントは腸で作られているし、二足歩行は走るためで座ると不具合が出てくるとか、運動がいいとか、とにかく、人よ、自然に帰れってことなのか。